はじめまして、堀崎カオリと申します。
OLOR JAPAN(オロージャパン)というハンドメイドキャンドルのデザイナーをしています。
まず、はじめなので簡単な自己紹介を…。
(書いているうちに全然簡単ではなくなってしまいました。長文ですみません!!)
私はハンドメイドキャンドルの制作とデザインをする会社を20代で起業しました。
今から約10年前になります。
当時は今よりもハンドメイドを仕事にしている人は少なかったように思います。
でも、20代でハンドメイドキャンドルの会社を起業するときはまわりに『え?キャンドルで会社を??』って驚かれました。
今はそんなことない時代になりつつありますが、10年前ってまだそんな時代でした…。
会社を作って起業する前は、企業でデザイナーをしていました。
企業では、ずっと制作部署にいたので周りはデザイナーばかりでした。
みんなものを作るのが日常のような人たちで、会社に行って、黙々とデザインをしたり企画したり。。。
天職なんてあまり深く考えたこともなかった私ですが、他の仕事は考えられなかったので今思えばこれが、天職だったのかもしれません。
なんでデザイナーになろうと思ったのか…? |
もともと、モノを作ることが大好きでした。
母親がグラフィックデザイナーをしていたので、家には画集や、コピック(昔の版下に使っていたカラーペン)、紙メーカーさんから届く紙のサンプル…。
100色くらい入った色鉛筆や、水彩絵の具などが当たり前のようにたくさんありました。
母はとても絵が上手で、まだ美大を出てから間もない若さで出産もしたため当時はまだ画力が衰えておらず、すごく鮮明なタッチで、家族の絵をたくさん書いてくれました。
寝ている赤ちゃんの横顔や、寝転んでいる父親の顔など。写真で見るよりも記憶に残っています。
子供が生まれてからは(私は3人兄妹です)、家の一室をアトリエにしてデザインの作業をしていたりしました。忙しい時期は、床に紙を引いてくれて、絵の具や紙のサンプルで自由に遊ばせてくれました(今、思えば…仕事の邪魔だったのだと思いますが笑)
そんな影響なのか、兄はプロダクトデザインの道に進み、妹は、インテリアデザインの道に進んでいきました。
私は、母と同じグラフィックデザインの道へ。
そういえば、祖母は洋服を作る今で言うパタンナーのような仕事をしており、
叔母さんは帽子を作っていました。
叔父さんは、デザイン会社を経営していたり…と、実はかなり身近にデザインがある環境で育ったと思います。
家族が異常に器用で絵が上手かったので…、私は自分はあまり器用ではないし、絵が上手いと思ったことがありませんでした。
小学校の朝礼で、絵の表彰をされるのはいつも兄や妹。私は何回かしかされたことが無かった。
だけど、デザインがとてもとても大好きだった。
絵を描くよりもデザインをすることが好きだったんです。とにかく楽しい。ずっとやっていられる。
それをしている時がなにより、幸せだったんです。
15歳で選んだ進路 |
そんなデザインが大好きだった私も中学生に。
好きなことははっきりしている私を見た母が…、
『このまま普通の高校に行ったら確実に浮く…楽しい高校生活が過ごせないのでは?!』っと思ったそうです。
実は母も同じ経験をしていたのでした。
美大に行くほど絵が大好きな母は、県内の普通の進学校になにも考えずに進んだそうです。
自分のやりたいことや、美大の受験に対する学校の理解のなさ…。
分かり合える友達も少なく、とても寂しい高校生活だったようです。
私には同じ経験をして欲しくないと思ったのかどうか…定かではありませんが…。
私は県内に唯一ある、美術科のある高校に進学しました。
そこは、1週間に美術の時間が10時間くらいあるとても自由な学校でした。
進学校でもあったので限られた時間の普通の勉強もかなりハードなのですが…。
翼の自由になった鳥のように…本当に楽しい高校生活でした。
高校では、県内各地から絵の上手な子が集まっていて…高校生で漫画家デビューしている子もいたり、
『私って、全然絵が上手くないなぁ…』と相変わらず劣等感はそのまま。
でも、絵は上手くないんですが、デザインは大好きだったんです。
これは、絵が上手なのとデザインとは、ちょっと違うんですね。
難しいんですが…。私は絵を上手に書いて作品を作ると言うよりは色を組み合わせたりする平面構成のようなグラフィックデザインが大好きだったんです。
3年生になる頃には、美大の受験対策でクラスが分かれます。グラフィックデザイン(視覚伝達デザイン)、油絵(ファインアート)、彫刻、製図(建築学科系)、などなど。
受験する学部に合わせてカリキュラムをこなしていきます。
私は、グラフィックでした。ただ…相変わらずデッサンが下手っぴ。
部活もやってて(意外に野球部のマネージャーを…笑)、美大の予備校にみんなが1年から通っているのに部活ばっかりやっていたのが、さらに追い討ちをかけて…。絵のレベルはクラスでも下の方に。
でも、デッザンは下手なんですが…デザインは褒められることが多くて。学校のユニホームをデザインさせてもらったり、アルバムの表紙のデザインを任されたりと…デザインはまぁまぁよかったのかもしれません。
なにか取り柄はあるもんです(笑)。
思えば、幼少期から、高校あたりまでの時期の好きなことをしてる感覚が今の私のおおもとなのかもしれません。
そして課題に追われる日々&もっと上手な人が世の中にいることを知る…. |
美大受験で私が受けたのは桑沢デザイン研究所でした。受験の倍率は美大とそんなに変わらず…ただし、課題の量は膨大な学校でした。寝る間を惜しんで課題をやるも、終わる量ではない!(笑)。
時には、高校の時の同級生(多摩美生)に助っ人をお願いして(ほんとはダメですよ!)、徹夜を無理やり強要して課題を仕上げる…。
でも、全国から集まった絵の上手い人たちは…恐ろしいほどの才能を持っている人たちでした。
私は絵が上手くなくてさらに凹んでいきます。なんだか、絵を描くこと自体が恥ずかしくてしかたなくなる….。周りを気にしすぎて、パースがおかしいんじゃないか。。影がちゃんと描けてないんじゃないか。。
本当は、学生時代はそんなこと気にしなくても思いっきり楽しめばいいんだと、今は思うんですけどね。
年頃の、自意識がビンビンのときはそうも割り切れないわけで…。
ただ、デザインはここでもまぁまぁ褒められるんです(笑)。
取り柄はあるもんだ….。色彩感覚やデザインのバランスは褒められるんですね。
これは、同じ学校にいた藝大に4浪した友人が教えてくれたんですが(この友人は在学中の1年生の終わりに藝大に受かり、無事に藝大に移っていきました。。)、デッサンや絵の上手さは、元々の上手さはあれど…練習で描き続ければ上手くなる。でも、色彩感覚は練習で表面上はなんとかなっても、上手くはならない。デザインのバランスも同じで、これはセンスの問題。だと。
なるほど….目から鱗でした。
社会に出て、もっともっと上手な人がいることを知る… |
初めて新卒で就職したのは、大手広告代理店のデザイン会社でした。
私は企業の広告を担当するデザイナーに。社会人になって、思ったことは…。
デザインをしててお金がこんなにもらえるなんて!!
夢のような仕事だ!!っと(笑)。
でも、それと同時に世の中にはもっともっとすごい人がたくさんいるということを知るのでした…。
広告代理店のアートディレクターやクリエイティブディレクターと呼ばれる第一線にいるクリエイターの人たちと一緒にチームを組んで仕事をしていくうちに…世の中にはすごい才能を持った人がいるもんだ!と改めて感じたのでした。
一人が抱えている仕事量のすごさ、常に考え続けないといけない過酷な状況…。そして、仕事だと常に結果が求められます。デザインのセンス以外にも、プレゼンを通す能力や、企画力。チームを束ねるリーダー力など、総合的に必要なんだとびっくり。
学生気分で仕事なんか出来ない…デザインに対しても怒られまくり、私のちっさなプライドもズタズタのめちゃめちゃに叩き壊されて…一から出直しでした。学生の課題と、仕事はまるで別物。
言うなれば…練習試合と甲子園くらいの違いがありました(え?例えがわかりづらい?!)
そして、当時は広告業界がとても景気がよかった時代で仕事の量が半端なかった。
3日間徹夜という日もあったり…、1週間ずっとプレゼン(全部違う案件)と言うこともしょっちゅうありました。
3年くらいいたのですが、おそらく睡眠時間が異常に少なかったので働いていた年数としては倍くらいになる計算かもしれません。
でも、仕事は楽しかったんです。眠かったけど。
もともと、体力があってタフな方なので徹夜とか寝なくても結構平気だったんです(若い頃は)。
それに加えて、やっぱりデザインが好きだったんだと思います。
作業している時間が楽しくてしかたなかった。
この広告の仕事で上司や先輩が本当に丁寧に教えてくれて、怒ってくれたおかげで今のスキルがつきました。いまの自分があるのは、このおかげだと本当に感謝しています。
しかし、広告というのは発注しているクライアントのあるお仕事。
プレゼンの結果次第では、自分のデザインしたパッケージもポスターも全然違うデザインに変えなくてはいけません…。
その当時はパッケージもたくさんやっていたのですが、(今でも、自分でやったパッケージのお菓子や、シャンプーなどお店で見かけます笑)
例えば歯磨き粉のデザインだったとして、いいデザインに出来たなぁと思っていても…
『ここに’歯周病予防’って大きく入れてください』とか言われて、あ”~~ってなったり(笑)。
クライアントがいるデザインって大変だなっと思っていたんです。大きな仕事ができる楽しさはもちろんあったんですが…。自分がデザインをしてるって感覚はあんまりなかったのかもしれません。
実は思ったことがあって、広告業界のサイクルの速さや、消費されるデザインに対して少し寂しさを感じていました。
消費されるデザインから、記憶に残るデザインへ… |
一生懸命やった広告は、掲載期間が終わるとあっと言う間に記憶から消えてしまいます。
サイクルの速さにも、虚しさを感じてしまって。
あるとき、広告でスヌーピーを使った大きなANAのキャンペーンを担当することになったんです。
グッズもたくさん作りました。そんなときに昔、大好きだったおもちゃのことを思い出しました。
おもちゃって、ずっと大切にしてたもののデザインは鮮明に覚えているんです。
思い出とともに記憶に残っている。
私もそんなデザインがしたいなぁ…。
自社のおもちゃを作っているメーカーに勤めればクライアントがいない!っと思ったんです。
思い切っておもちゃメーカーに転職をしました。
おもちゃメーカーでは海外事業部に配属されて、アメリカ向けの商品を作ることになりました。
毎年、支社のあるアメリカに出張がある、なんとも素敵な環境でした。
おもちゃメーカーでは、企画とデザインを担当していたのですが、企画の人数が少なくて…忙しい時期には一人200アイテムくらいを同時進行でこなしていたりしました。
毎シーズン、たくさんの商品を作っていきます。
仕事はとても楽しくて、充実してて。
しかも、残業もあまりなく、有給もほぼ100%消化出来る会社だったんです。
今まで、本当に忙しい広告の会社にいた私は、ぽけ~っとしてしまって(笑)。
自由になった時間を何かに使いたいと思い始めます。
そんな時に、出張で訪れたアメリカで可愛いキャンドルを発見しました。
そして…やっとこさ、キャンドルに出会います |
オモチャメーカーで働き始めて、海外事業の部署に配属になり、海外出張に行くようになりました。
海外の出張は初めてで、そりゃ~、会社のお金で出張なんて、20代の女子には、『あぁ~、ビジネスって感じだわぁ~』って感激したもんでした。
行き先は、アメリカのロサンゼルスが多くって、時々、香港や中国に行っていました。
アメリカ出張でみた可愛いキャンドルたち
アメリカの出張では、アメリカ向けの商品開発に役立てる為にショッピングモールをリサーチ(現地の市場調査)していくのですが、アメリカの大き~~なショッピングモールで自由行動で各自見て回るんです。
この時に、アメリカのモールで見かけたキャンドル達に心を奪われました。
キャンドルショップみたいなものって日本ではあまり無かったのですが、アメリカのそのモールの片隅にキャンドルショップを発見。
グラスにお花が入ったキャンドルや、カップケーキのキャンドル。ドーナツやキャンディーのキャンドルなどを初めて見ました。
その後も何度か出張でアメリカを訪れては、キャンドル探しをし(仕事しなさいって…)、帰りのトランクはいつもキャンドルでいっぱい!(私物です)。
家のキャンドルコレクションも増えていきました。
そして、何度目かの出張の時に、アメリカの本屋さんでキャンドルの本を発見しました。
『へ~!作れるんだ!』これが、きっかけでした。
そして、家で作ることをスタートしていきます。
前職の広告デザイン会社がとてつもなく忙しかったので、残業無しの時間も、有給の時間も、暇を持て余していた私は、早速キャンドル作りに はまっていきます。
1週間で20kgのペースでワックスを使っては、色々な物を作っていました。とにかく作るのが楽しかった。
そのうち、夜も寝るのが惜しいと思うほどにキャンドルに没頭。
仕事は眠い目をこすりながら、出社。
そして、仕事中に妄想の中でブランド名を考えるっと言う事になっていくのでした。
いつごろから、会社にしようと思ったのか…? |
家で猛烈にキャンドル作りを勤しんでいる時は、会社にしようなんて思っていませんでした。
ただただ、楽しかった。
いつの頃からだったのか…?
思い出すのが難しいけれど。
本を読むのはもともと大好きだったんだけど、しぜんと起業や独立開業などの自伝や、物語、を読むようになっていて本棚にもそんな感じの本が並んでいました。
別に意識していたように思わないんですが。。
ただ、思えば、私は企業には向いていなかったのかもしれません。
会社員で、会社のバックがあってデザインしているのがどんなに恵まれているかは、この後に起業してから思い知るのですが…(笑)。
どうにも、大きな企業の中で生きるのが難しかったのかもしれないなぁっと思います。
でも、まさかキャンドルで会社を作るとは!っとその時は現実に思っていなかった。
趣味でキャンドルを作り始めて半年くらいたったころ、大量に出来たキャンドルたちをどうにかしたいと思うようになりました。
今と作風が、たいして変わらない(笑)このころは作ったキャンドルを廊下に並べてました。(写真左)
↓
そこで、以前から気に入ってよく見に行っていたギャラリーで個展をやろうと思い立ちギャラリーに電話をして作品を見てもらいました。
↑
ここ、ちょっとサラッと書いてますけど…
実は私はかなりのビビリです。(笑)この電話するとか、メールするとかにしても、『あ〜〜、やっぱやめようかな〜』とか『緊張するなぁ〜』とか、人並み以上に思うタイプだと思います。でも、時々、あるんです。
『あ、これはいった方がいい!』と思うタイミングが。何年かに1回くらい。
それが、たぶんこれだったんだと思います。
ギャラリーの社長さんがとても気に入ってくださり、個展を開催させてもらえることになります。
この社長さんが、今ではこのブライスの会社で超有名なジュンコ・ウォングさんでした。
そして、個展をやってみたところ、400個近いキャンドルが売れました。
友達や同僚(部長も(笑))も来てくれて、そのおかげです。
他にも、偶然来てくれた人や、ブログで知ってくれた人など、たくさん来てくれました。
そして、初めて取引が始まる… |
そんな中に、ロサンゼルスでジャパンポップカルチャーの大きなプジェクトを企画している責任者の方が偶然通りかかり作品を取り扱わせて欲しいと言われました。
それが、初めての作品の取り扱いでした。たくさんの作品を買ってくださいました。
そして、そのロサンゼルスでオープンした小学館が運営しているジャパンポップカルチャーのミュージアムショップで取り扱いが始まりました。扉が開いた瞬間でした。
やっぱり、勘はあってた(笑)。
自分の作っているものが、実際に商品になることの嬉しさを知り….もっともっと作ってみたくなっていきました。
OLORってなんの意味…? |
個展後も、相変わらず会社に勤めていた私は、仕事中もさらにぼ〜〜っと妄想していきます。
ブランド名ってなにがいいかな〜、香りに関する名前がいいな〜…。
実は私は香りに関しては昔から、かなり興味があって。(名前もカオリなんですが(笑))
記憶の中の香りって、すっごく強烈な印象があったんです。
香水もオタクか!ってくらいに大好きで100本以上持っていて、香水オタク当時はすれ違った人の香水が当てれるレベルまで嗅覚が発達していたように思います(笑)。
脳の仕組みの中でもやっぱり香りって記憶に一番近い部分にあって、私にとってもそれは特別なものだった。
キャンドルは香りが自在につけられる…。私がキャンドルに惹かれたのも、もちろんそれが大きかった。
香りとともに記憶に残るものを作りたい。そう思ったんです。
そこで、香りにまつわる言葉を探してて、なんとなくいいなっと思ったのがスペイン語の『OLOR』。
JAPANを付けたのは、海外でも活躍したいと思ったから。
始めての取引がロサンゼルスだったのもあるのですが、海外にMade in Japanでキャンドルを持っていきたいと思ったんです。だから、JAPAN。(ここからの次の10年、海外に行きたいな)。
起業って、ただのスタート |
すっごく長くなってしまったプロフィールですが、お読みくださりありがとうございました。
私が今、東京の南青山で主催しているキャンドル教室では生徒さんからよく質問があったりして『なんでキャンドル始めたんですか?』と聞かれていたので、長くなってしまったのですがまとめてみました。
思い返せば、好きなことしかしていない気がしますが、これでも途中で色々な悩みや迷いもありました。
でも、ひとつ言えることは『好きなことを仕事にする!』これを15歳から決めてきたとことにあると思います。起業したあとも、『ぜったい続ける』これを徹底したことで今があると思います。
起業するのは、実はとっても簡単です。少しのお金と勢いがあれば、なんとかなります。
でもね…その仕事で10年続けるのはやっぱり『続ける』っていう覚悟が必要だと思います。
自分がどうなりたいか、よく考えてそれに向かって続ける覚悟を決める。ただそれだけ。
実は、シンプルなことなのかもしれません。私は全然特別な人でもなければ、ごくごく普通の人。
ただ忍耐強かっただけ(笑)。あとは、性格がかなり一途なので(頑固とも言う)、コツコツと続けただけ。
あと、やっぱり大きいのは周りの人に恵まれたこと。いつも困った時には助けてくれる人がいた。
今も、創業当時からずっと応援してくれるお客様がたくさんいる。
本当に、その皆様のおかげで10年続けてこれた。これは、私が一番感謝していること。
信用や信頼は、一瞬では難しいのです。でも、失うのは一瞬。
自分を支えてくれる、周りの人が10年も助けてくれるのは本当に奇跡のようにありがたい。
これからも、大切にして頑張りたいと思います。
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よかったら覗いてみてください^^
これからも、どうぞよろしくお願いします。